@itan-journ@l praha

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『八日目の蝉』タオルケットで涙を拭う



       




ご無沙汰しております。今年はちょっと忙しい帰省を送っており、気が付いたら感想文が溜まってしまっていました。さてこの映画、実に号泣なのでありました・・・。ポトッ、ポトッ・・・という落涙どころか、次から次にジャンジャカジャカジャカと涙が溢れて来てティッシュペーパーじゃとても追いつかない・・・。しまいには側にあったタオルケットをつかみ取り、とめどなく溢れる涙を拭いていました。ぐおお・・・いい映画じゃねえか・・・なんで今まで観てなかったんだ・・・と後悔。永作博美演じるおっ母さん(血が繋がってないどころか、誘拐犯なのだが)の深い深い愛情にビシ!バシ!ビシ!!!と打たれる二時間ちょいなのでした(長尺だけど中だるみも感じず)。

私にしては珍しいことに先に角田光代さんの原作を読んでたんですよ。確かに面白いし考えさせる小説だったけど、別に小説自体はそこまで私の中では強く印象に残ってるわけではなかったんですよね。 ロードショーのときも「あ~映画になったのね」と思ってただけでスルーしていました。でも、その映画が凄かった、凄かったんですよ。テレビドラマにもなっていて、友人の浦鉄さんによるとそちらの出来もかなり良いとのこと。映画を観賞後に早速ドラマもコンプリートしたのでした。

映画と連続ドラマ、それぞれに優れた部分を活かしたつくりになっていたように思います。ドラマは長さを活かしてヒロインを取り囲む人の人生もちゃんと描いていたし(その昔、岸谷五朗ファンだった私は五朗さん演じる不器用だけど優しいというテッパン設定な漁師に萌え~。くったびれたジャンパー着てるのがまたイイんだよな・・・)。一方、映画では省略されている部分も結構あるんですよね。でもそれが逆に誘拐犯と子の絆にフォーカスが置かれていていいんですよ。永作博美と井上真央の演技が本当に素晴らしいです。これなんか賞取ってんの?取ってんだよね?(※報知映画賞、日本アカデミー賞、ブルーリボン賞等を受賞しています)



予告編





※ネタバレします。


ていうかこの話、諸悪の根源は全部ぜーんぶお父さん(田中哲治)じゃん・・・って思いましたが。だって本来は愛する対象であるはずの三人の女性を自分のせいで苦しめてるんですよ。まず本妻(森口瑤子)を不倫で裏切っています。そしてその本妻は愛人に生まれたばかりの子供を取られてるし、子供が戻って来た後も実の娘と普通の親子関係が築けずに苦しんでいるんですよ。お父さんは愛人(永作博美)にも本気ではなかった為、将来の具体的なことをごまかし続けて不倫を続行。ついには妊娠した愛人に堕胎させ、その後に愛人は本妻の子供を誘拐、犯罪者になってしまいます。娘(井上真央)には幼児になるまで誘拐犯に育てられたという凄過ぎる生い立ちを与えてしまい、戻って来た後も普通の親子関係が築けない母と同様にギクシャクしているという・・・。いわば男の身勝手さに振り回されて人生が狂ってしまった女たちのブルースでもあるのです。

まあ、愛人の希和子(永作博美)もダメンズウォーカーなんですよね。なんでも男の言いなりになってるし。ほぼ同時期に本妻が妊娠していたというのもショックでしょうし(もちろん本妻にとってもショックなことは言うまでもない)、堕胎した後に「がらんどう!」と罵られるのも精神的に来ると思います。心身ともにボロボロになった希和子は、本妻が生んだ6ヶ月の女の子を抱えて逃げるのでした。確かに誘拐という犯罪ですが、希和子が受けていた仕打ちを考えるとまあ致し方ないかな・・・と思ってしまいます。逃亡先のホテルで夜泣きをする赤ん坊の薫(希和子が自分の子供に名付けようと思っていた名前)にどうすることも出来なくて、咄嗟に母乳をあげようと思いつくのですが「でないか・・・でないよね・・・」と呟くシーンが切ないです。この映画で素晴らしいのが説明セリフがほぼないこと。色々と複雑なシチュエーションなので補足説明が必要な部分もあると思うのですが、そこらへんの処理が実に洗練されていたように思います。映像作品なんだから見てわかるものをセリフで語らせるほど野暮なことはありません。ヘタな脚本家だったら「でないか・・・”おっぱい”でないよね・・・」と言わせてるかも?

その後、友達の家を経て行く当てもなく彷徨う希和子はエンゼルホームという訳ありな女性たちのシェルター兼新興宗教団体に身を寄せることになります。キリスト教ベースのようなアーミッシュのような感じで、隔離された場所でオーガニックフードを作りながら自給自足している人達なんですね。特にうさん臭い感じはしませんでしたが、エンゼルさん(余貴美子)の肩に手を乗せて欧州言語ぽいものを話している人が面白かったです。そこで希和子は久美/エステル(市川実日子)と知り合うのでした。市川実日子は相変わらず透明感があってイノセントな雰囲気のする女優さんです。オリーブ少女だった私には懐かしい。エンゼルホームでの制服が世田谷あたりのオサレ酵母パンのお店っぽくて可愛かったですね。赤ん坊だった薫はそこですくすくと成長するのでした。

映画では過去と現在が交錯して、恵理奈/薫が現在どんな大人になっているかを見せます。成長した恵理奈(井上真央)は、どこかほの暗さの漂う女子大生。世間と馴染めずに孤立しています。そんな恵理奈も希和子と同じように、妻子ある男性と不倫をしていたのでした。そして同じく婚外子を身ごもってしまったのです。この相手の男が塾講師の岸田(劇団ひとり)なんですが、このキャスティングがいいですね~。「一見ごく普通に見えるんだけども、よく見ると微妙にキモいという既婚の男」感がいいんですよ。買って来たケーキを落としてグシャ!もよかったです。そんな恵理奈に当時の事件のことで取材をしたいとフリーライターの千草(小池栄子)が近づきます。実は千草もエンジェルホームの出身で、幼い頃に恵理奈/薫と一緒に遊んでいた仲間だったのでした。小池栄子が巨乳を封印して(っていちいちそれに触れるのも正当な評価ではないかもしれないけど)男性恐怖症の地味な女性を好演しています。千草は恵理奈に希和子と薫が生活していた小豆島への取材旅行を提案するのでした。

エンゼルホームがマスコミに叩かれ、いずれは自分が潜伏していることがバレてしまうと悟った希和子は、久美の力を借りてホームを脱出します。久美が渡してくれた実家の住所を頼りに小豆島へ渡るのでした。幼い薫を連れての逃亡の旅・・・。誘拐犯と何も知らない被害者の子供であることが嘘の様なくらい、二人は親子なのです。希和子は薫のことを全身全霊で愛し、守り抜くお母さん。薫はお母さんの愛情を一身に受け、生きる希望となった可愛い可愛い子供なのです。血も繋がってないし、犯罪の上に成り立っている親子関係なのですが、そこには純粋な親子愛があるわけなんですよね。希和子は久美の実家の製麺工場で雇ってもらうことに。久美のお母さん(風吹ジュン)によくしてもらい、島でのつつましくも幸せに溢れた親子の生活が始まるのでした。

小豆島編は、自然も風土も眩しいくらいに美しく島の人々はみな暖かく、まるで天国のような場所として描かれています。これは小豆島にかなり行ってみたくなりますね~。それでフェリー乗り場であのシーンを再現したりして。すっかり日焼けして方言を話し島の子になった薫を、目を細めて見つめる希和子。ずっと、このまま、この生活が続けばいい・・・と思っていましたが、思わぬところから足がつき二人を引き裂くことになってしまうのでした。このフェリー乗り場前のシーンはもう涙なしで見ることが出来ません。ああ、ああ、親子を引き裂く何てなんとむごい!と思えてしまうのです。警察に確保されても最後の最後まで薫のご飯のことを心配する希和子は、誘拐犯ではなく本当に慈愛に溢れたお母さんなんですよ・・・。

過去のことを忘れていた現在の恵理奈でしたが、千草と共に小豆島を旅するにつれて少しづつ昔のことを思い出していきます。昔よく遊んだ場所、通った道、そしてフェリー乗り場・・・。だんだんと幼い日の遠い記憶が蘇り「あのとき、私はあの人にあんなにも愛されていたんだ・・・」ということがわかっていくんですね。最後に希和子と薫が二人で一緒に写真を撮った写真館の主人として田中泯さんが出ていますが、実に印象的でした。幼い自分をさらった誘拐犯ではあるけれども、本当に愛してくれた優しいお母さんだった希和子からの愛情を思い出した恵理奈は走り出し、お腹の子と一緒に生きて行くことを決心します。「私、もうこの子のことが好きだ・・・」と言うセリフにも泣。そしてエンドロール、オレンジ色に染まった小豆島の海を背景にして流れる中島美嘉の親子の愛を歌った歌にも号泣。タオルケットを引き寄せて締まりの悪い蛇口のようになった私の両目。母の愛に打たれてノーリーズンで号泣、そして美しい夕陽のラストというと、まったく毛色は違うけど韓国映画「母なる証明」を思い出してしまいました。

原作小説のテーマは「母性」だと言われています。希和子と薫のように、血が繋がっていなくても親子になれる。恵理奈のお母さんと恵理奈のように、血が繋がっていてもなんらかの理由で上手く行かなくなることもある(こちらは後に和解へと向かって行くような描かれ方でした)。特に愛していた男の子供というわけでもないけれど、まだ生まれていないその子を愛することは出来る。こういう異なった三つの母子関係を描くことで「母性って一口に言ってもな、その中身は色々あるんやで」ということが言いたかったのかなあ・・・と感じました。

タイトルになっている蝉ですが、このモチーフの登場のさせ方は少し唐突な感じがしないでもなかったです。このへんは時間が足りなかったのかも?だいたいが七日で死んで行く蝉。しかしまれに八日目まで生きる蝉もいるらしい。同期がみんな死んじゃって悲しいけど、きっと長く生きられた分だけ素晴らしいものが見られるのではないだろうか・・・ということなんですね。「世の中にある素晴らしいもの、美しいものを愛する子供にいっぱい見せてあげたい」というようなセリフが希和子と、時を置いて恵理奈から出ますが、この気持ちは筆者もよくわかります。情操教育上にも子供の頃に出来るだけ見聞を広げておくことが大事だと思うんですよね。この世は美しい、だからよく見ておきなさいというポジティブなメッセージに溢れているんですよ。ラストは非常に美しく感動的な終り方でしたが、得意の矮小化をするとやっぱり諸悪の根源は、ズルズルと不倫をしていたいい加減なお父さんってことで三人の女性をこれだけ苦しめた罪は重いです。不倫はイカン!!!しかしその不倫というのが古今東西の数多ある傑作フィクションを生み出すモトとなっているのも事実であるのでした。

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