@itan-journ@l praha

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『フォックスキャッチャー』この世には お金で買えない ものがある (七五調)



        




アカデミー賞主演男優賞(スティーブ・カレル)と助演男優賞(マーク・ラファロ)にノミネートされていた映画です。残念ながらどちらも受賞は逃していているのですが、なかなかに面白い映画でありました。私の大好きなジャンル、実際にあった殺人事件を基にしている映画なんですが、ハラハラさせるサスペンスよりもキャラクターたちの心理描写的な部分に重きを置いて撮られている感じがしましたね。もう結末は提示されているので、そこに至るまでの「あ~来る来る来る・・・」という嫌~な感じを、じっくりと鑑賞するタイプの映画という気がします。






※ネタバレします。




アメリカで実際にあった富豪によるレスリングコーチ殺人事件が題材です。レスラーのマーク(チャニング・テイタム)は84年のロサンゼルスオリンピックの金メダリスト。しかし金メダリストとはいえども実際の生活は厳しく、次の88年ソウルオリンピックに向けてちゃんと仕上げて行けるのか?というくらい貧乏な生活をしているんですね。チャニング・テイタムはメールストリップティーズ映画「マジック・マイク」でお世話になりましたが(何のだ)、今回はレスラーということでまた肉体派してます。でもガチに戦う筋肉なので、すごく重みがあってドッシリしてるんですね(顔の肉もやや増量?)。しかもこの映画ではほぼムッツリした不機嫌顔なので、笑顔が見られないのがちょっと残念なところ。

マークには信頼しているコーチで実兄のデイブ(マーク・ラファロ )がいます。お兄さんデイブもオリンピックのゴールドメダリストであり、レスリングのワールドカップで何度も優勝している有名レスラーです。マーク・ラファロはハルクなのでマーベル映画でよく見る顔。しかし今回はレスラーということで、こちらもガチムチ体型に仕上げて来ています。まだ未熟なところのある弟マークと比較したら、精神的にものすごい大人でリングの外でも頼りになる兄貴という感じなんですね。お兄さんは結婚していて子供もいるんですが、なんと嫁がシエナ・ミラーだったんですよ。私クレジット見るまで気が付かなかった・・・。かつては私服がおしゃれな女優としてスナップにいっぱい出てたシエナたんだけど、この映画では田舎の普通のお母さんにしか見えなかったです。

マ ークは近所の小学校に呼ばれて講演会をしに行きます。子供たちから別段ワーキャー言われず「金メダリストです!」とメダルを下げて舞台に上がっても何か虚しさが残る・・・といった感じ。 家に帰ると貧乏だからカップラーメンやレンジでチンするご飯しか食べていないんですよ。この辺の停滞描写がいいですね。画面が薄暗くて気が滅入る感じの画になっていて良かったです。そんなある日、大富豪デュポンの代理人から電話がかかってきます。「ジョン・デュポンさんが会いたいと言ってるので一度来てくれないか」という連絡でした。お迎えのヘリコプターが降りたのは広大な大邸宅の庭。そこでマークはレスリング好きの大富豪デュポン(スティーブ・カレル)と知り合うのでした。

スティーブ・カレルはいつもライトでバカなコメディ映画に出てる顔の濃いおじさんというイメージですね。ところがこの映画では、あの彼だとはすぐわかりません。特殊メイクで、あの濃い顔の面影(イタリア系なのだそうだ)がほとんどないんですね。顔を実際のジョン・デュポン本人にかなり近づけているらしいです(やはり、写真を見るとかなり似てます)。デュポンはスポーツを通じてアメリカ隆盛を目指す愛国者で、次のオリンピックでアメリカに金メダルをもたらすために、マークのパトロンになるんです。最高の設備を広大なお屋敷の敷地内に作り、有望な若者を集めて「フォックスキャッチャー」というレスリングチームを立ち上げます(設備のある場所が、かつてキツネ狩りに使われていた土地だったからだそう)。

こう聞くとスポーツ好きのアメリカンで陽気な富豪なのかな~という感じですが、彼の雰囲気が変。すごく静かであまり話さないんだけど、気に入らないことがあるとじわっとキレるみたいな、ちょっとキテる人なんですね(Wiki では精神病だったという記述があり)。お笑いを全部封印して、 スティーブ・カレルが不気味に熱演していました。とにかく彼から出てる周波数がほのか~に不気味。小さくてかすれがちな声のトーンも絶妙だし、不機嫌なときのオーラの出し方も「あ、この人普通じゃない・・・なんかコワ・・・」という感じがよーく出てました。デュポンはお母さん(大女優のヴァネッサ・レッドグレーブ)との間に確執めいたものがあったように描かれていました。馬が好きで貴族的なものを愛するお母さんにとってはレスリングは野蛮なスポーツだと映っていたみたいなんですね。デュポンはもう初老にさしかかってるオッサンなんですけど、なんとかお母さんに認められたいと願っていた様です。

この映画、暗いのはマークの停滞シーンだけかと思ったら全編を通してず~っと薄暗いんですよ。天気もいつも曇っぽくて、どよ~んとした感じ。あと登場人物があまり笑わないのも暗い雰囲気の一因でしょうか。曇りの天気が鬱っていうのは、私も嫌と言う程わかります。特に冬はもう本当に最悪ですよ。中欧に越して来て「自分はこんなに天気に影響される人間だったのか・・・」と思い知りました。冬の曇りの日は空の上にまるで見えない巨大な手があって、それに上からズーンと押さえつけられているな息苦しさを感じます。やっぱり太陽の光がないと人間ダメなんだなあ・・・と冬の間はため息をついていました(ヨーロッパでは季節性鬱にかかる人もいるんだそう)。

曇天模様ばかりの画とは別に、なんか妙〜に閉塞感を感じる画面だな~と思っていたんですが、それは出て来る部屋の天井が低いからということに気が付きました。デュポンの家はアメリカの超豪邸なんだけど、どの部屋もなんでか妙~に天井が低く感じるのです(もしかしたら高いのかもしれないけど、あえて低く見えるように撮影されている?)。横の広がりや中の調度品と比較すると、なんか天井だけが低くて妙~にバランスが取れてない感じがして気持ち悪いのです。そしてフォックスキャッチャーの練習場も妙~に天井が低い。お金もあるし、天井の高さも取りたいだけ取れるのに何故・・・?と思いました。もしかしたら建物こみの演出なのかも・・・しれません。

マークとデイブ兄弟はデュポンが普通じゃないことにはあまり気付いていないようでしたが、実際はどうだったんでしょう・・・。弟のマークは途中からデュポンとあまり会話しなくなっていきましたが。マークは途中からチームの中で孤立していくんですね。昔からよく出来る兄デイブの陰に隠れた存在だったらしく、自分もメダリストなのだけれども、どうも兄に比べるとパッとしない感じのポジションである故にフラストレーションを抱えているといったシーンもありました。デュポンに誘われてからマークは彼の邸宅に引っ越しますが、お兄さんのデイブは家族の為に地元に留まることにしていたのです。しかしデュポンはデイブが来ることにずーっとこだわり続け、ついに家族を連れてデイブが赴任してきます。

デイブという最高のコーチを迎えたフォックスキャッチャーですが、デュポン(ただのレスリングファン)は元金メダリストの有能なコーチを差し置いてチームメンバーに「コーチング」を行う場面があります。それはデュポンのお母さんヴァネッサ・レッドグレーブが練習場に現れた時でした。デュポンは初老にさしかかった年齢にもかかわらず「お母さんにいいところを見せたい!」という子供の様な欲求があったのでしょうね。しかし結局は経験に裏打ちされたものではないコーチングのため、チーム全体に微妙〜な雰囲気を運んで終るのでした。

デュポンはクルーを雇い「情熱大陸」的な自身のドキュメンタリー映像を撮影させます。周囲の人間にインタビューさせ、レスリングのコーチとして人間として、いかに偉大な存在であるのかという賞賛コメントを取ろうとするんですが、お金で買えないものもやっぱり世の中にはあるんですよね。友情とか愛情とか尊敬とか、そういった人の心は、どんなに大金があっても本当の本当のところではコントロールすることが出来ないんですよ。デュポンは「お母さんが金で雇った友達がいた」と語っていましたが、そこのところはわかってないのかなあ・・・と心が寒々しくなりました。

マークはその後のオリンピック予選で力を出し切れず、滞在先のホテルの部屋を荒らし、ルームサービスでカロリーの高そうな料理を注文しヤケ食い。このヤケ食いシーンは欲求不満のOLみたいでしたが、なんだか本当に気の毒になりました。このシーンでもお兄さんのデイブが本当に頼りになる兄/コーチっぷりを発揮するんですよね。次の試合までになんとか規定の体重まで落とすことが出来て予選通過。一方、デュポンはお母さんの訃報を受けてお屋敷に帰っていたのでした。広大な敷地内にある馬小屋に入り、デュポンが自ら馬を野に放すシーンが悲しいです。マークはオリンピック本番で負けて、フォックスキャッチャーを去ることになりますが、お兄さんのデイブはコーチとして続投することに。続投の条件としてデュポンにマークへの経済的支援を取り付けていたのでした(デイブ、本当にいい兄ちゃんや)。

その後、悲劇が起きてしまうんですが・・・いや〜、やっぱり経済力のある狂人って本当に怖いですね。最近話題になった「幸せの行方...」も、ちょっと次元が違うくらいの大富豪の家に生まれて、幼少期からの母親との問題を抱えているというケースでした(「幸せの行方」の方が複数人を殺してるし、ずっと病理が深そうだけど)。殺害シーンは別段ドラマチックではなく「パン!」→「ドタッ」という感じであっけなく撮られていて、そこもなんだか薄ら寒かったです。この乾いた感じが「ああ、なんか虚しいなあ・・・」とやるせない気分にさせるんですよね。デイブ、いいコーチで良き夫/父親/兄だったのに・・・。いつもの矮小化感想ですけど、やっぱり人を見る目って大事です。この映画の場合は経済的に支援してくれる人が狂人であったという見極めや決別がとても難しいケースですが、人を見る目のありなしが詰まるところ生死に関わるんですから。これからは破格の好条件を提示してくるパトロンには充分に気を付けようと思いました(そんな経験ないし、これからもないと思うけど一応ね、一応)。

受賞は逃したけど、俳優たちの演技が素晴らしかったです。「40歳の童貞男」俳優スティーブ・カレルは不気味なデュポンを怪演でビックリしたし、兄ちゃんのマーク・ラファロも非常に安定感のある熱演でした。間に挟まれたチャニング・テイタムはノミネートなしでしたが、コンプレックス不機嫌演技がよかったと思います。笑顔がなくて残念と書いたけど、実はこういう暗い役の方があってるかも・・・?とも思いました。


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『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』どん底描写に物申す!

         

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この映画を知ったのは町山智宏さんのたまむすびポッドキャストです。美味しそうな食べ物がいっぱい出て来るらしいので観てみました。特に期待せずに無心で観てみて、グルメとオッサンの再起話でそこそこ面白い映画だなあと思ったのですが、それ以上でもなくそれ以下でもなく・・・という平常心な感想を持ちました。ポッドキャストを聴いたのがだいぶ前だったので町山さんが言う「こういう箇所が現実のジョン・ファブローの監督としてのあり方と重なっていて胸熱!」というのをすっかり忘れていたんですね(最近、忘却のスピードが早くてちょっとゾっとします・・・)。観た後にもう一度聴き直したら「ああ、なるほど」と腑に落ちたのですが、解説ありきの映画だと思いました。

ジョン・ファヴロー監督(「アイアンマン」でも、おデブのハッピー役で出演)の今までのキャリア変遷とか、超大作のメガホンを取ることでどれだけ大変な目にあってきたのか、方向性や興行収入をめぐってのプロデューサー陣との確執とか、アーティストとしての様々な葛藤とか色々あったんですよ、ということが私の様な普通の観客はわからないじゃないですか。それともこういう背景は映画ファンだったら知ってて常識なんでしょうかね。だったらスミマセンなんですけど、映画作りを料理に置き換えて自分のストーリーを紡いでいるんだよ、ってことが識者の方に教えてもらわないとわからないじゃないですか(もしくは自分で背景を調べるか)。ハリウッドのビックバジェットムービー監督を一旦お休みして、低予算だけど本当に自分の撮りたいものを撮る=有名レストランのスターシェフだったけど、屋台を背負って裸一貫でやり直すってのが「リアルと同じ・・ ・。これ、監督の実話でもあるんだ!」って気付いて胸熱になれない分、なんか置いて行かれた気がしちゃうんですよね。だからその分ちょっとモッタイナイ感じの映画だなあと思います。

「アイアンマン」シリーズなんかと比べてしまうと低予算らしいのですが出演している俳優陣は、なんだったら普通の映画よりも豪華です。これはファブロー監督の人柄かによるものか。今もちょっと未練が残っている主人公の元嫁に目下ラテン系セクシー女優ナンバーワンのソフィア・ベルガラ。その元嫁の元夫でフードトラックを提供してくれる社長(パイプカット済み)にはロバート・ダウニー・ジュニア(友情出演程度の登場だけど)。主人公がクビになったレストランのオーナーにダスティン・ホフマン。主人公に想いを寄せるソムリエがスカーレット・ヨハンソン。主人公の元同僚で 親友の料理人にジョン・レグイザモ。いい感じの布陣ですよね。そんで中心にいる主人公のキャスパーに兼監督でジョン・ファヴローです。

主役兼監督兼プロデュース兼脚本という大活躍のファヴローによる、ファブローのための映画なんですね。彼に魅力がないとダメな企画なのだろうと思いますが、結構頑張っています。オッサンだし、デブだし、という冴えない男なんですが(クマちゃんみたいで可愛いという人もいるかも)、人が良さそうでみんなから愛されている感じのキャラクター(ジョン・レグイザモが仕事をうっちゃっても協力してくれるくらい人望もある)。しかも有名シェフだから料理がうまい。ツイッターでの舌禍により炎上し、どん底まで突き落とされる不運に見舞われますが、持ち前のガッツと料理を愛する心と友人の助けで見事復活します。 しかし・・・どん底つっても別にそこまでヒサンなものではないんですよ。 映画のどん底描写にはうるさい私には、こんなの甘い方。私が本当のどん底を教えてやろうか?誕生日に代替え不可能と思うくらい愛した男からあっけなく振られ、無職で短期派遣の面接でさえも箸にも棒にもひっかからず、真っ赤な膿を持ったニキビが顔中にボツボツと出来て、愚痴を聞いてもらおうと泣きついた長年の友人からは新興宗教に勧誘される・・・愛も仕事も友もすべて失い顔は正体不明のニキビだらけ。これがどん底だ、わかったか!(すべて筆者が24歳のときの実話です)

この映画のキャスパーは、仕事はクビになったけれども腕一本で立ち上がります。批評家にもひどいことを書かれてシェフ生命の終わりか?と思われましたが、ピンチをチャンスに変えてキャリアのブレイクスルーを迎える訳ですよ。どん底っつったって、利発そうな可愛い可愛い息子もいるし、助けてくれる友人もいるし、超セクシーな元嫁(しかも金持ち)とこれまたセクシーなスカヨハからは愛されてるし、これのどこがどん底なんですかー!!!!本当のどん底ってのはなあ・・・(以下略)。

しかし、手に職ってのは大事なわけですよ。レストランをクビにされたって別に料理の腕まで使えなくなってしまうわけではないのですから。クビはむしろジャンプアップするための好機ぐらいの勢いです。海外に住んでると思う訳ですよ。「ああ、何か潰しのきく技能を身に付けておくべきだった・・・」と。MBAとか持ってても先進国以外ではあんまり意味がないように感じます(筆者はもちろん持っていません)。腕一本で渡って行けるお仕事は色々あるけれど、いちばん生活に直結しているのが料理人なのではないですかね。「ザ・シェフ」の味沢匠だって、包丁一本で流しのシェフをして料理を作るだけなのにブラックジャックばりの高額報酬を得ているんですから・・・(まあ漫画だけど)。

しかしアメリカのフードトラックってのは、日本で言えば屋台的なものとはいえなんかお洒落に感じますよ。売ってるものはキューバサンドイッチで、東海岸のビーチ沿いに集うイケてる若者たちに大人気。映画に出て来るキューバサンドはシズル感満載で確かに美味しそうなんですけど、根っからアジア人の私はパンじゃメシ食った気にならないんですよね。やっぱりガッツリ白飯をかっ食らわないと・・・。個人的には東南アジアの屋外フードコートみたいなところで、プラスチックの風呂椅子に座り海南チキンライスを頬張るみたいな方がいいのでした。

『ビルマの竪琴』若き三國連太郎がイケメンで驚く

                             



プラハで開催されていた日本映画祭で上映されていた一本です。監督は市川崑。市川監督は「ビルマの竪琴」を二本作っていますが、私は古い方を鑑賞しました。1956年制作ということで、まだ戦争の爪痕が生々しく残っているであろう時代に作られています。モノクロのコントラストが弱く粗い画面が印象的ですが、ビルマ(現在のミャンマー)で撮影されたのはパゴダが映っている特定のシーンだけで、後は日本国内で撮影されたそうな・・・。小田原で撮影されたシーンもあるんだそうです。56年だったら、日本にもビルマっぽい場所はいっぱいあったのだろうなと思います。






※ネタバレします。


いや~、しかし悲しい映画でした。水島上等兵(安井昌二)は、ものすごく日本人なんだよなあ・・・と思います。真面目で、責任感があって、自己犠牲的で、人の気持ちを汲んで・・・・。特命を受けて同胞の別部隊に終戦を知らせにいくのですが、断固としてその事実を受け入れない別部隊は英国軍に反抗して攻撃を受け、全滅してしまいます。水島はおそらく一人だけ奇跡的に助かった自分を責める気持ちと、なんとかして別部隊を説得することは出来なかったのかという後悔に苛まれてしまうのでした。助かった水島はビルマのジャングルを彷徨い、そこで野ざらしになっている多くの日本兵の遺体を目にします。その後ビルマの僧として出家してしまうんですね。

一方、水島に特命を出した井上隊長(三國連太郎)と戦友たちは水島の行方を必死に探しまわります。現地語が堪能でビルマ人風の顔をした水島なので、どこかで生き長らえているのかも・・・と淡い期待を持っていました。ある日、彼らは水島そっくりのビルマ僧を見つけます。が、日本語で話しかけても彼は無反応なのでした。人違いかと思う井上隊長でしたが、後にそれの僧がやはり水島であるいうことが判明します。

この辺は「えっ、仲間だったのにそんなにわからないもんなのかな?」とちょっと不思議でしたが・・・。クレジットで三國連太郎と出たので「一体どの役で?」と思いました。私くらいの世代にとって三國さんと言えば、やっぱり「釣りバカ日誌」のスーさんでしょうか。ちょっとお茶目なおじいちゃんなんです。「ビルマの竪琴」は56年の映画なんで顔が判るかどうか不安だったのですが・・・。すぐに判りました。若き日の三國さんは佐藤浩市そっくりのイケメ ンだからなのです(浩市が三國連太郎に似ているのだが・・・)。いや美男子でしたね~ 。しかも背も高くて体格も良くて素敵〜。井上隊長は音楽学校出なのですが、そんなアート系インテリ設定も納得の美男子っぷりでした。以前に世界のミフネの若かりし頃もあまりに美男子でビックリしましたが、昔の俳優さんもイケメンだったんだなあ~と改めて驚きます。

井上隊長の隊に野菜や果物を届けて物々交換するビルマ人のおばあちゃんが出て来ますが、このおばあちゃんが日本語流暢な上に大阪弁なんですね(駐留していた大阪の軍人に教えてもらったらしい)。こりゃどう見たって日本人の役者を使ってるよな~と後からWikiを見たら、北林谷栄さんでした。「となりのトトロ」のカンタのばあちゃんですよ!子供のときトトロを観た人なら誰しも「メ(メに濁点)ーーイちゃーーーん」と、カンタのばあちゃんのモ ノマネをしたことがあるでしょう。

帰国することになった井上隊は、このビルマのおばあちゃんを通じてゲットしたオウムに言葉を覚えさせます「おーい、水島、いっしょに日本へ帰ろう!」と・・・。このオウムは兄弟鳥がいて、その鳥は水島が飼ってるんですね。再びビルマのおばあちゃんに頼んで水島のオウムと交換してもらい、このメッセージを彼の元へ届けます。しかし水島のオウムが話した言葉は「いいえ、日本には帰れません・・・」という返事でした。このオウムでの伝達方法が実に切ない・・・!オウムに言葉を覚えさせるには何回も何回も繰り返して言わなけりゃいけないと思うと切なさ倍増です。

井上隊が帰る前日、彼らが収容されていたイギリス駐屯地の有刺鉄線の前に、水島が現れます。特別な音楽教育は受けていないものの、才能があった水島は手作りの竪琴をよく隊で弾き、その音色は戦友たちにつかの間の癒しとなっていたのでした。駐屯地と平地を遮る有刺鉄線の前に集まる戦友たち。彼らは「水島!一緒に日本へ帰ろう!」と懸命に訴えます。しかし水島は愛用の竪琴で「蛍の光」を演奏するのでした。日本人だったら誰でも知っている別れの歌。インストでしたが、心の中で朗々と歌いあげてしまってニアリー号泣!

帰国の船の上で井上隊長は水島からの手紙を読みます。そこには彼の万感の思いが綴られてい ました。水島に親兄弟はいたのか、はたまた結婚していたのか、子供がいたのかは明らかにされていませんでしたが、戦友たちと自分の中の日本を振り切ってまでもビルマに残って同胞の供養をしていくという決心が凄いです。画面いっぱいに広がるアンダマン海には夕陽が沈んで行きます。戦争って一体、なんなんだろう・・・と無力感に襲われましたが、これからの水島の行く末が幸多きものであるよう祈りたくなる穏やかなラストでした。「ビルマのつちは、あかい。岩もまた、あかい」とオープニングに出た言葉が出て終わります。悲しく切ない話でしたが、なんだかミャンマーに行ってみたくなる映画でした。

これで今年の日本映画祭は終わり。三本と少ない鑑賞になりましたが(うち一本はyoutube・・・)、今までタイトルだけは知っていたけど未見だった作品と出会えて非常に有意義な映画祭でした。

『お葬式』しんみりと笑いのさじ加減が絶妙

                        



プラハで開催されていた日本映画祭の中の一本です。ラインナップを見た段階ではこの映画にはあまり興味なかったけど、友人が行くというので「だったら行ってみるか」と別段期待もせずに観たところ、これがすごく面白かったんですね・・・。自分が観たい!と思って主体的に観る映画もいいけど、友人から勧められたり誘われたりしてなんとな~く観る映画によって世界は広がっていくのですね。

才人、伊丹十三さんは映画監督としても有名ですが、私にとってはエッセイの人という印象が強かったのです。それは親の本棚にあった「新潮文庫ヨーロッパ退屈日記/伊丹十三【後払いOK】【1000円以上送料無料】」という文庫本のせい。この本から「欧州では、何が粋とされるのか」ということを少しでも学べた気がします。イギリス英語の発音方法とか、スパゲッティーの正しい食べ方とか印象に残っていますね。この本はふとしたときに何回読んでも何か新しい発見があります(前回読んだことを忘れてるってことか)。気に入ったので引っ越しの時に持って来ました。そして今、ヨーロッパの中心に位置する国で退屈しのぎに日記(このブログ)を書いている私。なんという人生の妙でしょうか!

私はチェコ国のお葬式に二回、日本国のお葬式に一回参列したことがあります。だからお葬式に関しては自国の習慣がよくわかっていません。しかし、この映画を観れば、仏式のお葬式にはかなり自信が持てることでしょう。主人公夫妻がお葬式を開く初心者であるため、実にわかりやすい。病院での遺体引き取りから、お通夜、告別式、火葬までの流れと、遺族側から弔問客に対する挨拶の仕方などが盛り込まれており、何も知識がない人が見てもだいたい仏式葬がどんなものであるのかわかるような作りになっています。

かといってマニュアルっぽいドライな映画なわけではなく、悲しみもそこそこに初めて葬式を出すことになった側の戸惑い、故人と別れる辛さ、初めてがゆえのぎこちなさからまき起こるファニーさや、葬儀に集まった人たちの人間模様等々があますところなく描かれています。しんみりとした雰囲気になったと思って観ている方も泣きそうになったら、そこで思わぬ事態が起きてプっと笑ってしまったり、このさじ加減が本当に絶妙なんで唸ってしまいました。ものすごくいい塩梅!いい味付けなんですよ!伊丹さん はお料理も上手であるということで、なんだかいたく納得してしたのでした。しかもこれが初監督なんですね。まるで新人監督とは思えぬ円熟の域。しかしフレッシュさもあって、素晴らしいと思います。これは私の想像ですが、三谷幸喜さんはこういったユーモラスでお洒落な伊丹風タッチに憧れてそうな気がしますね。


予告編。プレゼンする小遊三さんが若い!あとタモリが当時38歳ってのにもビックリ。




主人公は俳優の侘助(山崎努)とその妻で女優の千鶴子(宮本信子)。千鶴子の母きく江(菅井きん)と父の真吉(奥村公延)は、伊豆の緑に囲まれた一軒家で余生を送っていましたが、お父さんの真吉さんが急逝してしまい、侘助夫婦は初めてのお葬式を出すことになります。主人公夫婦が俳優なので、すぐにこれは伊丹監督と奥さんの宮本さんが実際に体験したことなんじゃないかなあ~と思う訳です。実際その通りで、自身の体験に基づいたストーリーになっているんですね。しかし山崎努が若い!(結構イケメン)そして監督の奥さんである宮本信子さんが実にイイ女なんですよ(観賞後、友人も言っていた)。宮本さんは別に特別美人という女優さんではありませんが、 な~んか魅力的。

Wiki情報ですが、伊丹監督が「妻はいい女優なのになかなか主役の話が来ない。ならば彼女を主役にした映画を自分で撮ってしまえばよい」と言って本作の主演に起用したとか。その気持ちもなんだかよくわかります。その後、夫婦は女シリーズでヒットを連発。私はまだ一本も観てないんですが・・・。そういえば私が子供の頃に伊丹宮本ペアの「あげまん」が公開されていました。「あげまんって一体どういう意味・・・???揚げたまんじゅうのこと???」と親に聞いて、親が言葉を濁して逃げたのを覚えていますよ。大人になって意味がわかり対になる「あげちん」という存在があるというのも知りました(笑)。

だからなのか愛妻である宮本さんが本当に魅力的に綺麗に撮れてます。髪を下ろしてワンピースを着ているのもいいし、喪服姿もいい。最近、宮本さんと原田美枝子さんが出ている資生堂のCMを見つけましたが、お二人とも本当にお美しい。そして品がある。さすが日本映画をしょってる二大女優ですよ。これも最近知ったのですが、原田美枝子さんの旦那さんは「オーディション」の石橋凌さんなんですね。こちらのご夫婦も凄い組み合わせです・・・。






※以下、ネタバレを含みます。


私が印象に残っているシーンをいくつか書いてみたいと思います。まずは、訃報を聞いて侘助夫婦とマネージャー(財津一郎)が車で病院まで向かうシーン。別々の車で向かう訳ですが、侘助夫婦と子供が乗った車にはサンドイッチがあって、侘助がそれを食べながら運転しています。並走しながらマネージャーにもサンドイッチを渡そうとしますが、なかなかうまく行かないというシーン。お父さんの遺体が安置された病院へ向かう道すがらの話なのですが、こんなときでも生きている人間は何か食べなければいけない・・・という感じが出ていてユーモラスかつ味わい深いシーンだったと思います。車がなんかクラシックカーみたいでオ シャレでした。

順不同になるかもしれませんが、お坊さん(笠智衆)が家に来てお経をあげるシーン。みんなが仏前に揃って正座をしているわけですが、普段しなれない正座のせいで、足がムズムズ・・・しびれてしまいます。そこへ電話(もちろん固定)がかかってきます。でも誰も立ち上がって電話に出ない。なぜなら足が痺れて立てないから。仕方なくマネージャーが立ち上がろうとしますが、案の定、ドテーン!と転んでしまいます。再び立ち上がろうとしてまたドテーン!と数回転んでしまい、神妙なムードがほころびます。ここは弔問客がおらず身内だけのリハーサルのような場面ですが、本番だったらきっと可笑しさ倍増ですよね。ご焼香に向かおうとしたら喪服でひっくり返ってドテーン!(ついでに坊主の袈裟も掴んだりするとナイス)で、遺族も弔問客も泣き笑い ・・・みたいな。この「お葬式あるある」は正座という習慣がある限りなくならないのでしょう。

葬儀には近所の人(金田明夫と海老名みどりが寿司屋の夫婦)や侘助夫婦の仕事仲間などがかけつけて手伝ってくれますが、なにやら訳あり風の妙齢女性、良子(高瀬春奈)がやってきました。この良子さんが侘助の不倫相手なんですね(もちろん周りは知らない)。最初は楚々としてお手伝いしていたのに、大酒を飲み暴れまくる。周囲がちょっとこの人変なんじゃ・・・?となって、侘助が彼女を外に連れ出します。この伊豆の家の外の風景が緑豊かで羨ましい。バナナの葉も茂っていて、まるでバリのヴィラみたいです。なんとか良子を東京に帰そうと必死な侘助ですが、林の中で押し問答になってしまい「ここで あたしを抱きなさいよ!じゃなきゃ帰ってあげない!」とストッキングを脱ぐ良子。仕方なく良子とコトに及ぶ侘助なんですが、ここの描写がちょっとビックリするほどエロティックでした。サテン地のパンツをはいた良子のお尻がアップになり、嬌声をあげる・・・みたいな。コトが終った後「髪飾りがない!探して頂戴!」とわめく良子のために林の中をうろうろする侘助ですが、転んで喪服に泥をつけてしまうのでした。泥だらけのズボンを微妙な顔のまま洗い、濡れたまま履くシーンでは笑いが起きていました。二人が林の中でコトに及んでいたとき、妻の千鶴子は庭にある丸太で出来たブランコをこいでいるのですが、そのときの表情がまた絶妙でしたね。彼女は不倫のことを知っていたのか、いないのか ・・・。

お通夜には親戚一同が集まり、お寿司などをつまんで酒盛りして賑やかムードに 。お葬式って悲しいけども、親戚や古い知り合いが集まってちょっとした同窓会ムードになるのが素敵なところです。大滝秀治演じる余計なこと言いなおじいさんも味でしたが、親戚の中には尾藤イサオや岸部一徳の顔も。この岸部一徳のキャスティングはイイですね~。岸部一徳は、絶対親戚にいるいる!っていう親戚のおじさん顔なんですよね。皆が帰りそうで帰らなくて、でも家の人は帰って欲しくて、みたいな感じも「あるある」です。皆が帰った後に、数人でゆっくり飲むんですが、そこで千鶴子さんが踊るのがしみじみしてて良かったです。

お父さんのゲートボール仲間がお通夜に訪れますが、その中の紅一点だったおばあさんが遺体と対面して号泣。奥さんの菅井きんよりも悲しんでるんですよ 。「えっ・・・もしかして生前、この二人なんかあったんじゃ・・・」みたいな妙な空気になるんですね。お葬式で愛人が現れたりして遺族ビックリみたいな話はよく聞きますが、普段見えなかった人間関係があぶり出される、This is お葬式。

いよいよ本番の葬儀。季節は夏なので台風のような強い風が拭き、外に出してあった受付テーブルの上のお香典が飛ばされてしまいます。飛ばされたお香典を皆で拾って返すのですが、一瞬でも「あーあ、こりゃ盗られちゃうな」と思ってしまった自分が恥ずかしい!これぞ日本人の美徳ですよ。東南アジアやヨーロッパをさすらっていた間に忘れていた日本人の良さを感じました。高い樹の枝に引っかかったお札を取ろうとする青年は若き利重剛さんでした。 

火葬に向かう前に、棺にクギを打つシーンがあります。このクギ打ちの儀式は私も知りませんでした。金槌で半分くらい打ったクギに遺族が石でトントン、と軽く打って故人を送り出す儀式なんですね。江戸家猫八演じる葬儀プラン ナーが「形式ですので、軽く」と言って石を菅井きんに渡します。遺族が代わる代わる石を持って、トン、トン、トン・・・と棺に封をする。なんて切ないシーンなんでしょう。ト ン・・・トン・・・と、寂しく響く石の音。その音が響く度にお別れがだんだんと近づいて来ます。思わず涙がこみ上げてきたところ、侘助夫婦の小学生くらいの息子が石を持つ順番になり、彼がトトトトトトトトト!!と高速でクギうちをするのです。これにはもう爆笑しまいましたね~。個人的にはここが一番、しんみりと笑いのさじ加減が光った箇所でした。

火葬場にて、棺を焼却炉に入れるシーンも切ないです。火葬場の外で焼き上がりを待つ遺族。煙突を見つめ「あんま煙でないなあ」と呟く侘助。「俺が死ぬんだったら春真っ盛りがいいなあ。焼けるのを待ってる間、皆には桜でも見ててもらってさ」と続けます。そうですね、私も春が一番いいと思います。夫婦が火葬場の外でタバコを吸いながら待ってい ると「ねえ、焼いてるの見せてもらえるって!」と親戚。二人は好奇心で見に行き、耐熱ガラスの窓から棺が焼かれているのを見学します。火葬場の職員(小林薫)に「大変なお仕事でしょうねえ・・・」と労いの言葉をかける侘助。「まあね、俺たちは焼却炉に入れた後、遺体が生き返らないかが心配なんですよ」と一仕事終えリラックスした表情で語る小林薫。小林薫は遺体の焼き加減についても語りますが、私の父親が祖父(父親の父親)の火葬を待っている間に「焼き方はウェルダンでお願いします」と不謹慎ジョークを言っているのを思い出しました(笑)。菅井きんは焼けるのを見ずに表で待っていたのですが、戻って来た千鶴子が「見て来たわよ。なんか逆にサッパリしたわ」と言うんです。このセリフもい いですねえ。お葬式でも火葬が終るとなんかホッと一段落つく感じが出てます。

火葬場から帰って、家で親戚や近所の人と高級仕出し弁当を囲んで打ち上げです。ここで侘助が挨拶をする予定だったので、ビデオを繰り返し見て練習していたのですが、菅井きんが「ここは私が」と立ち上がって挨拶をします。この長セリフが良かったですねえ。また菅井きんのいいおばあちゃんっぷりが滲み出ていて良いシーンでした。マニュアルではなく心から出た感謝と労いの言葉に感動。きっとこの二人はいい夫婦だったんだろうなあというのも滲んでいて。そして後ろを振り返るばかりではなく「ここからが、新しい生活の始まりなんだと思います・・・」という前を見据えた言葉に感動。そう、残された者は生きるしかない 。いつまでも悲しみに沈むことなく、生を謳歌することこそが故人への供養になるんだと私も思います。

無事にお葬式を出して、なにもかもが終った伊豆の一軒家でゴミ出しをする侘助夫婦と菅井きんの風景に重ねてエンドロールが出ます。二階からゴミを庭にボンボン投げて、たき火で焼いているのですが、三人の表情はすっかり葬儀モードから日常生活に戻っているように見えます。このなんてことはない風景もいい。非日常の葬儀が終わって日常モードになったことがちゃんと示されていて味わい深かったです。ということで、「お葬式」すごくいい映画でした。これから伊丹監督作品を鑑賞していくのが楽しみです。

『自殺サークル』あなたは、あなたと関係者のあなたですか?

         

自殺サークル [ 園子温 ]

自殺サークル [ 園子温 ]
価格:561円(税込、送料込)



プラハで開催されていた日本映画祭で上映されていた一本です。今回の映画祭のテーマは「日本人の死生観」ということらしく、死がテーマになった映画がたくさん上映されていました。死か・・・なんか暗くて凹むかも~と思ったけど、死があるからこそ生がある。みんないつかは死ぬのです。そう考えると死は悲しいことですが、これは生きとし生けるものが拒むことの出来ぬ自然の摂理であるのだから、そんなに怖がるこたあないのだ、もっとカジュアルに死を考えてもいいのではないか?という気にもなってきます。

映画祭は滝田洋二郎監督レトロスペクティブということで「おくりびと」がポスターになったりしていました。「おくりびと」は私も日本で観たけど、 当時の感想文を読むと「あっそ」 程度の印象だったようです・・・。そんな生と死を見つめるラインナップ中で「これは観たい!」と思ったのが本作。しかし上映時間(どれも一回限りの上映)に別の用事が重なってしまい、諦めざるを得ませんでした。そうしたらyoutubeで上がってることを友達が教えてくれたのです。画像は荒かったけど、とても面白い映画でした。グロいし、伏線回収なんて全然考えていない映画だから、観る人を選びそうな作品ですが、私はとても気に入りました。

園子温監督の映画は「恋の罪」、「冷たい熱帯魚」、「ヒミズ」、「希望の国」、「愛のむきだし」、「地獄でなぜ悪い」を観たことがあります。すごく気になる監督なので旧作も最新作も全部チェックしたいところなのですが、今のところ有名なものしか観 ていません。海外に住んでいるとなかなか観るチャンスもないので難しいんですよね。本作は園監督のわりと初期の頃の作品です(2002年)。この頃の日本では集団自殺が多発して社会問題になっていたらしく、それがこの映画の元になっているそうです。確かにネットで自殺仲間を募って車の中で練炭を炊いて窒息死する・・・みたいなニュースが多かった様な気がします。日本人は自殺するときでさえも集団行動をするのか・・・と軽く目眩がしたのを覚えていますよ。

予告編(ファックスから平べったい貞子みたいなのが出て来るシーンはなかったような・・・)


映画の導入部
なんともいえないテーマ曲がいい。早くもハイライトシーンがあるのでネタバレ注意(と、R-15の凄惨シーンあり)。



劇中でカバーされた桃井はるこの「Mail Me」PV。監督は同じく園監督。




※ネタバレします。



新宿駅の中央線ホーム。大勢の女子高生たちがワイワイ言いながら楽しそうにホームへの階段を降りて行きます。彼女たちはホームぎりぎりのところで横1列にずらっと並び、手をつないで電車が来るのを待ちます。そして「いっせーの、いっせーの、せ!」と朗らかなかけ声をかけて線路へ飛び降りるのでした。電車に轢かれて潰れたトマトのようになる彼女たちの肢体。電車の窓にピュレのようになった人肉が叩き付けられ、大パニックになる乗客。トマトピュレのような鮮血で真っ赤に染まるホーム。このツカミでグワっと持って行かれてしまいました。窓ガラスに犠牲者の肉がぶつかるというのは「オテサーネク 妄想の子供」でもありましたが、オテサーネクのが2年早かった(詳しくないけど、ホラーやスプラッター映画ではよくある技法なのかも・・・?)。

なんの悩みもなさそうだった天真爛漫な女子高生たちが、どうして・・・と唖然とさせられたまま、ある病院のシーンになります。宝生舞とさとう珠緒のナースが夜勤をしていて、そのまま二人とも窓から飛び降りて自殺。新宿駅のホームにあったと思われる血だらけのスポーツバッグが、病院の廊下をスススス・・・と滑り出し、悪夢的なホラー映画を観ているようです。

そして警察が動き始めます。リーダー格で安定感がある黒田刑事(石橋凌)、ニヒルな若手の渋沢刑事(永瀬正敏)、スキンヘッドでコワオモテの村田刑事(麿赤児)、キャリアっぽい 萩谷刑事(迫英雄)のキャラクターがバラエティに富んだ「チーム男子」感がある4刑事が捜査にあたります。警察や監察医が出て来るとサイコサスペンス調になるんですね。血だらけのスポーツバッグに入っていたのは、小さく切り取られた人間の皮膚をひとつひとつ繋いで鎖のようにしたものでした。自殺した女子高生たちの死体(複数死体の手足がこんがらがって、さながら死体のかき揚げ状態)にはこの切り取られた皮の跡が・・・。どうやら皮を切り取られた人が自殺をしているらしい。集団自殺したJKは54人ですが、皮の鎖は54人以上の長さがあるのでした。

自殺の連鎖は止まらず、ある高校の屋上で昼休みにお弁当を食べていた高校生たちが次々と飛び降ります。最初はノリで「うちらも死んじゃう~? 」って感じだったけど、まさか本当に飛び降りてしまうとは。でも思春期だと危険なことを軽々しくやっちゃいがちな、そういう危うい感じあるかもなあ・・・などと思ってドキドキしてしまいました。最後に飛び降りた美人の女子高生が「自殺クラブから皆に告ぐ。我々は先発する」と言ってダイブ。中二病入ってるけど、ちょっとこの口上がカッコイイと思ってしまう自分がいるんですよ。

女子高生ミツコ(萩原明子)が道を歩いていると、上のビルから飛び降りてきた投身自殺者と接触しました。その自殺者はミツコの彼氏のマサだったのです。そのままマサは死亡。監察医に回されたマサの背中にも四角く切り取られた跡がありました。ここは自殺するマサとぶつかって死にそうな彼氏を目の前にして もあまり動じないミツコが、少しユーモラスに描かれていましたね。取り調べでミツコが見せた背中にはチョウチョのタトゥーがありましたが、皮膚は切り取られていませんでした。

劇中ではテレビでローティーンのアイドルユニット「デザート」の映像が何度も流れます。歌番組みたいなんだけど、なんだか素人が取ったビデオみたいなカメラワークの粗い映像で、歌い踊る女の子たちの表情はよく見えません。♪Mail me, 早く下さい♪ というこのサビは何度も何度も繰り返されるので頭に残ってしまいます。この歌うロリータというのは「地獄でなぜ悪い」のミツコと被ります。CMソングの♪ギリギリ歯ぎしり、レッツゴー♪も頭に残る歌でした。

コーモリと名乗る人物(嘉門洋子)は、ネット上のあるページのことを警察にタレコミます。そのページ上には多くの丸が並び、丸の数が集団自殺者の数と一致しています。自殺者が増える直前にこの丸の数も増えるということでした。コーモリはこのページの元を辿り、自殺クラブの本部を突き止めます。一方、黒田刑事の中学生くらいの息子も自殺クラブとされる裏サイトを見つけます。そこのメールフォームから自身の名前で黒田刑事は個人情報を送るのでした。パソコンのディスプレイが でっかいし、ピクセルの粒子も粗いし、フォントも微妙にそろってないし、プリミティブな画面構成もなんだか怖い。2000年初頭あたりのインターネットってこんな感じでだったんだなあ・・・と感慨深いです。

黒田刑事が裏サイトからのコンタクトを試みた後、子供の声で警察にタレコミ電話が。子供はなぜか句読点ごとに咳をしていて、次の集団自殺の時間と場所を予告するのでした。なんかこえー!この子供から警察への電話ってのは、未解決事件のグリコ森永事件みたいじゃないですか。それになんでいつも咳をしているのかも意味不明だし・・・。子供の声は「6枚目の鎖を見て下さい」と言うのでした。鎖・・・というのはチェーンのように繋がれた人間の皮膚のことだと確信した黒田刑事は監察で皮膚を確認します 。6枚目の皮膚にはタトゥーがほどこされていました。子供のイタズラ電話だと思われましたが、念のため現場を張る警察。しかし何も起こりませんでした。

街頭には「ここで飛べ!」と書かれたボードを持った人が何人も立ち、集団自殺の不穏なムードが街を包んで行く描写があります。そして次々と自殺を図る人々。不穏なムードと書きましたが、子供たちが歌う童謡のような歌がバックに流れていて、なんだか出来の悪いカルト集団の洗脳ビデオのような奇妙な趣があります。晩のおかずにする野菜を切りながら、同じテンションで自分の指や手や腕も同じように切って行く主婦。舞台で突然自分を刺すお笑い芸人に、集団で首つり自殺するアマチュア劇団員(この人たちはヘタっぴな学生演劇っぽくて 昔演劇部だった私はちょっと懐かしくなりました)・・・。病んでるというかここまで来るといっそクレイジーで清々しいですね。

黒田刑事が自宅に帰ると、家中が血だらけになっていて中で息子が死んでいました(娘は生きているけど血だらけで心神喪失状態っぽい)。一方同じ頃、コーモリは自殺クラブの連中に拉致されて、彼らのアジトへ連れて行かれます。そのアジトが、ボーリング場跡みたいなところなんですがレーン上に白い布に包まれた人体なんだか動物なんだかがうごめいているというクレイジーな場所でした。この白い布に包まれた物体は「オーディション」を彷佛とさせます。黒田刑事役の石橋凌さんは「オーディション」の主演男優でしたが、石橋さんの顔を見るだけで「この後に、きっとなにか惨劇が・・・鬼畜の所業が・・・トラウマが・・・」とワクワクさせられるんですね。そして自殺クラブのカリスマは、なんとローリー寺西改めROLLYでした!!!そういやオープニングのクレジットでROLLYってあったけどすっかり忘れてた・・・まさかここで出て来るとは!(笑)ROLLYはここで歌声も披露します。

黒田刑事の息子の腕には肉の鎖の6枚目にあったタトゥーと皮膚を剥がされた跡がありました。なんと息子も自殺クラブの一員だったのです。でも自殺か他殺かわからないような描かれ方でした。家の壁には「ここで飛べ」「プラットフォームから飛び降りろ」といった血の文字が・・・。この謎な血の文字は「恋の罪」で出て来た「城」という血文字を思い出しました。再び咳をする子供の声で黒田宛に電話がかかってきます。「あなたと、あなたの奥さんの関係 、わかります。あなたと、あなたのお子さんの関係、わかります。では、あなたと、あなたの関係は?」「いま、あなたが死んで、あなたと、あなたの奥さんの関係、残ります。いま、あなたが死んで、あなたと、あなたのお子さんの関係、残ります。いま、あなたが死んで、あなたと、あなたの関係はどうなりますか?あなたは、あなたの関係者ですか?」・・・・・。さらに別の、より言葉のたどたどしい子供が電話に出て「なぜ、たにんのふあんを、じぶんのもののように、かかえられなかったのですか?」と黒田を責める言葉を並べます(明らかに読まされてる風なんだけど)。それを聞いた後で黒田はピストルを抜いて自らの頭を打ち抜き自殺します。自殺する直前に黒田は「無理だ・・・。やつらは敵じゃない・・・」とつぶやきます。これ、一体どういうことなんでしょう。子供たちの言っていることは曖昧模糊としていますが、なぜか彼らの口からたどたどしく発せられると妙に真理をついたような言葉となって私の心を揺さぶるのでした。

一方、コーモリを拉致監禁したROLLYは、あえてアジトの場所を警察に明かして捕まります。ここらで捕まって話題作りをしたいということですが。デザートの新曲がかぶります。♪この世は人生、ジグソーパズル♪ 要するに人は皆それぞれがジグソーパズルのピースであり、ピースとしてハマる場所がなかったら死ぬしかないかも、という恐ろしくも身につまされる曲です。この曲、凹んでる時に聴いたら本当に消え入りたくなっちゃうかも・・・。

女子高生ミツコは亡くなった彼氏の実家に行き、彼の部屋で思い出の品を見ている時に、あることに気が付きます。デザートのファンだった彼氏は着メロもデザートで、デザートのポスターも部屋に貼ってありましたが、そのポスターで少女たちが着ているラガーシャツ風のゼッケン付きワンピースと、そのゼッケンを指し示す彼女たちの指の数が暗号になっていたのです。その数字が示す通りに携帯のメールを打ち込むと(cdma-Oneの携帯が激懐かしい)、出て来たメッセージは「Suicide」・・・自殺 !そのメッセージから例の咳をしていた子供へ繋がります。「自殺クラブなんてないよ。遊びにおいでよ」と子供。その後ミツコがデザートのCDなどを手がかりに出て来た数字をパソコンに打ち込むと「明日デザートのライブ会場に来い」というメッセージが浮かび上がるのでした。

ミツコはライブ会場に行き、デザートの暗号で楽屋裏に入ります。そこから誰もいないステージに上がって、幕が上がると、何人かの子供たちが客席に座っていました。彼らは再び「あなたと、あなたの関係は?」と言ったことを次々とミツコに訪ねます。「あなたは、あなたに関係のあるあなたですか?」と問われ「私は、私に関係のある私だよ!」と叫ぶミツコ。手を叩いて喜ぶ子供たち。子供たちはその後も執拗に「あなた は、あなたの関係者ですか?」といったことを尋ねてきます。園監督(兼脚本)は詩人でもあるので、ここは彼のポエマーとしての魂が炸裂している箇所ではないでしょうか。初見では「一体どういうことなんじゃ・・・」と全くもって訳がわからなかったけど、二回目、子供たちの問いに注目して観てみると・・・「あなたは、あなたの関係者のあなたですか?=オノレとちゃんと向き合って生きんかい!!!」といったメッセージがぼんやりと浮かんで来る様な気がしますよ・・・。

その後子供たちのカルト集団は、ヒヨコが敷き詰められた場所へおもむき、おかかえ鍛冶屋のような大人から大工道具のカンナを受け取ります。側には並べられたたくさんの若い女の子たち。子供は丸出しになった女の子の背中にカンナを当てて皮を削ります。ミツコも同じようにされ、チョウチョのタトゥー部分にカンナを当てられたのでした。子供たちのカルト集団・・・そして床に敷き詰められたヒヨコ・・・。クレイジーですね。鳥とカルトの組み合わせは「愛のむきだだし」で安藤サクラが演じていたカリスマを思い出します。彼女はインコを異様に可愛がっていたのでした。

そしてまた新たに作られた皮のチェーンが、新たな自殺現場の遺留品として警察に届けられます。永瀬正敏の渋沢刑事はそのチェーンからミツコのタトゥーを見つけ、再び新宿駅の中央線ホームに張り込みます。オープニングと同じように大勢の女子高生がホームへの階段を下って行きます。着メロは全員デザートの「Mail me」。渋沢刑事はミツコを見つけ、彼女の手を取り自殺はやめるように目顔で語りかけます。ミツコは「アンタ何言ってるの?」と不可解な表情。そのときに電車がホームに入って来ます。別に女子高生たちは自殺をせずに電車に乗り込むのでした。そしてデザートは解散します。彼女たちのファンへの最後のメッセージは「勝手に生きろ!」・・・。今までとはうってかわったバラード調の曲でエンディングになります。この歌が生きることを肯定するポジティブなものだったので、恐らく・・・「死にたきゃ勝手に死ね、だが死ぬ前に、オノレはオノレの関係者としてオノレと向き合ってガチで生きてみんかい!」ということかな・・・と感じました。

子供カルト集団はアイドルグループ、デザートを通じて人々の自殺願望を刺激し、自殺行為へと誘発させていたんですね。ミツコがしたようにデザートファンの子は隠された「Suicide」のメッセージを解き当てて、子供カルト集団の待ち受ける場所へと行き、そこでカンナにより肌を削られたと。そして自殺に導かれていったわけだけど、ミツコは自分を持ち「私は、私に関係のある私だよ!」と宣言したから自殺しなかった・・・ってことなんでしょうかね。

この映画はホラー要素とサスペンス要素をふんだんに含んでいるのですが、その実はジャンル分けがとても難しい映画です。ROLLYをカリスマとする反社会的な集団や謎の子供カルト集団といった病んだ現代社会の病理みたいなものも出て来るので、本当に初見では何が何だかわからなくなるんです。みんなが夢中になっていたデザートが歌っていた歌や彼女たちのポスターに自殺を誘発するメッセージが託されていましたが、子供ばかりのカルト集団が本当に子供だけで構成されていたのかイマイチはっきりしないし、彼らの真の目的もわかりません。そして電話をかけてきた子供がなぜいつも咳をしていたのかも不明。謎だらけ、わからないことだらけなんですが、しかしそんなことはもうどうでもいい。このクレイジーな園子温ワールドに翻弄されている時間が至福なんだ!と思える不思議な映画でした。

もともと映画自体に謎や伏線を回収する気がまったくないので、その独特な世界観の中で振り回されるアトラクション的気分を味わうという感じなんだと思います。そんな中で、子供たちの「あなたが死んだら、あなたとあなたの関係は、どうなりますか?」という哲学的で深淵な問いかけに思わずドキっとさせられたり。そういう挑発にも似た刺激が心地よいのです。映画を観終って数日後、洗濯物などを干しているときに「あれってどういう意味だったんだろう・・・」とふと考えさせられる、そういう映画なんです。細かい枝葉や矛盾はもうどうでもよくなって、圧倒的で強力な映画の世界観に、何が何だかわからないまま巻き込まれる体験こそが貴重なのです。私にとっていい映画というのは、ジャンル国籍問わず映画の世界にいつのまにか巻き込んでくれる映画なのかもしれません。「男と女」しかり「アルゴ」しかり・・・。というわけで、日本帰省時にはまた園監督の旧作をレンタルしなければ・・・と思うのでした。

『ファイト・クラブ』私はやっぱり消費クラブ

                           



そうです、今更「ファイトクラブ」です・・・。上映当時はブラピ全盛期で日本のマスコミでもブラピ!ブラピ!と騒がれていた様な記憶があります。ブログでは何度も書いていますが、私はブラピがもともと苦手なんですよね。確かにイケメンだとは思うんですが、猿顔のメンズがダメなんです。私はおファス(マイケル・ファスベンダー)とかアラン・ドロンとか(古)端正でかつ影のあるヨーロピアン美男が好みなので・・・。あー、でもソー様ことクリス・へムズワースは好きですね。彼は猿というかゴリラみたいな感じのイケメンなんですけど、なんででしょうね。よくよく考えるとソー様は低音セクシーボイスだけど、ブラピは違う。ブラピの声がダメなのかも。な~んか軽くって、頭悪そうな感じがすんですよ。話し方もそう。この役柄のせいもあるけど、こういうのは私が一番苦手なタイプのメンズです。

この映画のブラピはチャラ男役なので、派手な柄物のシャツを着てタルそうに話しておりました。でも筋肉の付き方が彫刻みたいでTシャツを着て腕を上げているシーン(鴨居的なところに両手でつかまっている)は「ええ腕してんなあ・・・」と思わず見とれてしまう程。でもやっぱりダメなんですよね。声と話し方がダメ!・・・などと言っているわりに、実はブラピが二度も夢の中に出て来たことがあります。しかも二回ともブラピから 誘われるという夢でした!!!おファスは一回も私の夢に出演してくれたことがないのに・・・実は、深層心理ではブラピのことが好きなのかも?一回目の夢は印象的だったのでブログのネタにもしたことがあります。二回目は、やっぱりブラピから誘われるのですが、私はそれを振り切ってジャズミュージシャンの菊地成孔さんの元へ行くという夢でした(なんだそりゃ)。菊地さんは楽器を演奏する方のミュージシャンなんですが、声がカッコイイんですよね。話し方も好きで当時彼のポッドキャストをよく聞いていたのでそのせいかもしれません。

映画史に残る名作と推す方も多いこの作品ですが、公開当時(99年頃)の私はアメリカ映画を全く観ていませんでした。この頃の私はおフレンチまっしぐら。確かヌーヴェル・ヴァーグが40周年でリバイバル上映も多く 、限られたお小遣いの中で観に行くならやっぱりフランス映画!という感じでした。だから「タイタニック」も「アルマゲドン」も「マトリックス」も劇場で観ていないという・・・。そしてそんなど・メジャーな大作を観ていない自分、センス良くてオシャレって思っていたのでした。しかし後に友人Iから「メジャーを知らずしてマイナーを語るなかれ」という金言をドロップされます。まあなんでもバランス良くってのは大事です。食わず嫌いせずに色んなものを観て「これは好き」「これは嫌い」と選別していくと自分のテイストがおのずと出来て来ますし、そこからの世界も広がるというものですよ。

ノリの良い音楽に乗せて始まる本作ですが、主人公(エドワード・ノートン)がタイラー(ブラッド・ピット)に出会ってファイトクラブを結成するまでは病んでいる描写が続きます。主人公はいいマンションに住んで北欧デザイナーズ家具を買いそろえている独身のサラリーマンなんだけど、生きているという実感が得られずに不眠症になっています。彼が暗い目をしてボーっと深夜テレビの通販を見ているシーンなんかは私も「そうだよなあ・・・」と共感。大人になってしまうと毎日似た様なことの繰り返しだし、中々生きている実感って得難いものではないでしょうか・・・。だからか逆に「死」を意識するとハリが出るというのもよくわかるんですよね。主人公は難病や大病を経験した人達のワークショップに参加して刺激を受けることで精神を安定させますが、なるほどそういう手があるのかという感じです。まあそれでもかなり病んでるのですが。

しかし、なぜか睾丸ガンのワークショップに来ていたマーラ(ヘレナ・ボナム・カーター)のせいで主人公はまた不眠症になってしまいます。マーラのファッションがガーリーなクソビッチという感じで可愛いかったです。当時のミュウミュウみたい。この映画には他にジャレッド・レトも出演して いて、メインのキャストがみんな今も一線で活躍している人ばかりですね。エドワード・ノートンは「バードマン」でクセモノ俳優をやっていましたが、15年前とほとんど変わっていません。そして主人公は飛行機の中で石鹸ビジネスをやっているというブラピことタイラーと知り合います。このタイラー・ブラピがうさんくさすぎる!(笑)しかしスクエアでなんの面白みのないリーマン、エドワード・ノートンとチャラいイケメンでギャル男のブラピの対比がいいです。

タイラーは石鹸を高級デパートに卸しているのですが、それが20ドルぐらいで売られてるんですよ。主成分は高級エステサロンから盗んだ・・・吸引後の脂肪。デパートのお姉さんが「今まで使った中で一番の石鹸だわ」と絶賛していましたが。実際にこの石鹸を模した脂肪石鹸というのを作るレシピがあるそうです。ちなみに使用するのは人間の脂肪じゃなくてベーコンの脂肪(ホッ)。脂肪抽出したあとのベーコンはカリッカリになるのでシーザーサラダ のトッピングとしても使えるのだとか!詳細はファイトクラブソープの作り方をどうぞ。

しかし殴り合うことで生きている実感を得るというのは、一理あるとは思うけど私は無理ですね。まず痛いのが嫌だし、いかにも男の子が喜びそうなマッチョな感じがするし、女人禁制感があって男でなければ、男同士でなければ到達なし得ない何か・・・という感じがします(女はマーラぐらいしか出て来ないし、マーラも殴り合いには参加していない)。私だったら生きている実感を何で得るだろうか・・・と考えると、この映画のコンセプトと真逆な感じですけどやっぱり消費ですかね。大きな括りで言うと消費だけど、やっぱり旅行。行ってみたい場所があるから働いて旅費を貯める。アリのように働いているときは何も楽しくないし出来れば死にたいと思っているくらいだけど成田 (羽田)へ行く途中の、日常から非日常へ変わる瞬間、人生がものすごく輝いて生の喜びに溢れる・・・。やっぱコレですよ!パート主婦に成り下がった今はコレがないから、私は生きている実感がイマイチないと思っているのかも知れません。結局、私という人間は資本主義の枠の中でしか生きられないヘナチョコ野郎なのか・・・もし男だったら、ガッツリとタイラーに感化されてファイト・クラブ入りしてたかも?

そういえば仕事を辞めたばかりの頃「人は消費(お金を使うこと)せずには生命を維持していけないのだ・・・」ということをスーパーへ行く道すがら急に感じてゾっとしたことを思い出しました。しかし、だからこそアナーキーに資本主義のシステムをぶっ壊そうとする主人公の行動が爽快に感じられる のかもしれません。だってカード会社とか銀行とか金融系の会社を全部ドカーンと根こそぎ爆破ですよ。フォーウ!といやがおうにもテンション が上げられてしまうではありませんか。待てよ・・・カード会社が爆破されれば今月の支払いもチャラ!そうとなったら爆破前に限度額マックスまでお買い物出来るじゃないか!!と考えてしまう私は、やはりどっぷり肩まで消費文化に浸かった存在なのでした。


『FRANK フランク』イケメンは顔以外のパーツもイケメン

       



そういえば、おファスの最新作をチェックするのを忘れていた・・・ということでフランクを観ました。主演:マイケル・ファスベンダーなんですけど、ほぼ全編に渡ってかぶり物をしているんです・・・。モッタイナイ・・・MOTTAINAI!!! しかし私、気付いちゃったんですよ・・・(稲川淳二風)。かぶり物でおファスの顔は見えないんですけど、マスクで覆われていない部分、彼の首だったり肩だったり腕だったり胴体だったり、そのボディーラインと筋肉の付き方のそれはそれは美しいことに。別に顔が見えなくても、それ以外のところでイケメン!イケメンは身体のラインだけで美男だとわかるッ・・・!と感じたのでした。これは新たな発見でしたよ。 顔出てたらきっと顔とその周辺しか見てなかっただろうから。それに彼のガッシリとしたでもガッシリとしすぎないで少しガッシリしている魅惑的なガタイもかぶり物に映えていました。この映画はおファスが顔以外でも美男だということを証明する映画なのです。

ストーリーは、なんかオフビートなコメディーで彼らがやっている音楽が全然わからなかったので、私には正直ピンと来ませんでしたね。でも俳優陣はみな好演だったと思います。おファスはじめストーリーテラーのジョン(ドナール・グリーソン)もよかったし、バンドメンバーのクララ(マギー・ギレンホール)も久しぶりでした。マギーは昔、結構好きな女優だったんですけども(「セクレタリー」とか)、「バッドマン」のヒロインやっ たあたりからホウレイ線が刻まれて来てて、なんか心配だな~と思ってたんですね。そしたら本作ではもう笑わなくてもマギーの両頬にクッキリとブルドックのようにホウレイ線が入ってて時の流れを感じてしまいました。筆者もマギーと同年代なので明日は我が身です。でも女優としてはナチュラルな感じでいいんじゃないでしょうかね。ボトックスで不自然に引きつっている肌よりずっと好感度高しですよ。

ということで、フランクでした。感想短くてスミマセン・・・。

『ラストタンゴ・イン・パリ』男の方がロマンチストなのかも

                       



ドリーマーズ」に続きベルトルッチ監督のR-18映画です。この映画のヒロインと同じ年くらいのときに観たんですけど、ほぼほぼ忘れていたので再鑑賞。あれから年月が経ち、ヒロインのマリア・シュナイダーよりも相手役のマーロン・ブランドの年の方に近づいてきたわけですが、それでも私にはこの映画がよくわからなかった・・・。観賞後に町山智宏さんの映画塾の動画を見て「愛の実験」のようなキーワードを得てから、なんとなく腑に落ちた様な気がしますが・・・まあそれでもなんとなくですけどね。


制止画で構成された予告編。音楽がカッコイイ↓



町山智宏の映画塾↓




同じくこの映画をヒロインと同世代の頃に鑑賞したという友人Iに聞いてみたところ、友人Iもピンとこなかったようです。「女は老いに対しての焦りを、若い異性でなんとかするソリューションがないからでは?」という意見が出ました。確かに古今東西で老いて行く男が若い女とどうこう、というネタは掃いて捨てるほどありますが、その逆はあまり思いつきません。女は閉経というイベントがあることで精神的にも次のステージに上がりやすいと思うんだけど、男は「いつまでも現役」感にしがみつくゆえに無茶をしてしまいがちになるのでしょうか?バイアグラが売れてるのと同じこと?スポーツ新聞やオヤジ週刊誌の広告が精力剤で埋まるのを考えるとそんな気もしてきます(しかし最近の日本の一般紙でも結構あからさまな男性向け精力剤の広告が出てて驚いた。一般紙に出すシモのお薬広告は「」ぐらいにとどめておいて欲しいと思う私は保守的なのだろうか・・・)。

昔は「超エロい映画」という印象だったけど、今観るとこれはちょっと可哀相なオヤジの話なんですよね。たまたま空きアパートで出くわした若い女とやっちゃって「愛の実験」のためにそのアパートを借りるんですが(実験のことはセリフでダイレクトに語られてなかったと思います)結局、女が一皮むけて成長するための踏み台になって終わってしまうんですよね。彼の奥さんがご近所さんと不倫してた挙げ句自殺してたりして、他にも色々とあるんですが。私はラストのこともすっかり忘れていたので、マーロン・ブランドが「俺の名前はポール。年は45歳で、男やもめだ」と個人情報を語り出したときから「ああ、彼らは名前も知らなかったけど、こうして身バレした後で普通の付き合いをしていくんだろうな。変わった出会いだったけど最後はハッピーエンドか」って思ったんですよ。我ながらおめでたいです。しかし不思議なことに身バレした途端にマーロン・ブランドの妖しげな魅力が半減していくように見えるんですよね。若い女を懸命に追いかけるオッサン・・・出来れば見たくなかったという感じでしょうか。

その分、前半のマーロン・ブランドは謎めいていてイヤらしくて独特の魅力を放っているんですよ。若い頃に観た時はピクリともしなかったんですけど(むしろヒロインの恋人役、映画マニアの青年ジャン・ピエール・レオーが出てるから観たような気が)、実にエロいんですよね~。しかも得体の知れない謎の男ってことでエロさが倍増しています。でもベッドシーンは「妖精たちの森」の方が個人的にはエロスだったかな。当時はアナルセックスのシーンが超刺激的で物議を醸し出したそうですが、行為自体は今見ても別になんてことないんです。ただ何故にここでマーロン・ブランドがお尻を出さなかったのか、すごい疑問。このシーンはアナルなんですけど二人とも服着たままなんですよ。それでカメラが上にあって、マリア・シュナイダーの上にブランドが重なってるんですが「これセックスシーンなんですか?」って感じでエロスをあまり感じません。ここでブランドの尻さえ出ていれば、トップとボトムに挟まれた生身の尻ってことでエロさが出たと思うんですけどね~。特に男尻(だんじり)が好きな私は残念でした・・・。ってかセックスシーンって私にとっては男尻(だんじり)を鑑賞するための時間ですからね。その埋め合わせか、後半部でタンゴ・コンテストに乱入したシーンでブランドが審査員のオバチャンに尻見せてるし。尻の出しどころが間違ってるよ、ベルトルッチ監督!って思ったのでした。

マリア・シュナイダーは、なんかイマイチあか抜けない感じの女優さんだと思いました。しかしそこが綺麗なだけではない生身の女っぽくてまたいいのかも。調べたところ既にお亡くなりになっていて、代表作が本作ということですが、スキャンダラスな映画だったためその後のキャリアは低迷してしまっていたようです。彼女は前半でヘアスタイルをチリチリパーマにしたのがよくなかったな~。72年なので、当時の流行だったかもしれませんが、なんかピグモンみたいでした。ファッションも独特でしたね。登場シーンのマダムコートに花の付いた帽子にロングブーツというのは、なんかプロの女性みたいでしたが、だからマーロン・ブランドは間違えてしまったのでしょうか? プチブル家庭の女子大生だということが後からわかるので、逆にそういう雰囲気の女の子にした方がストーリー展開からもグっと来るんじゃないかなって思いましたけど。清楚な女子大生(もちろん処女)が行きずりの中年男とヤリ部屋を借りるほうがずっとロマンじゃないですか。なんか週刊新潮の「黒い報告書」みたいで(実際の事件をモチーフにしたエロ小説のシリーズ。薄気味悪い話ばかりなんだけど、なんだか読ませる迫力があるんですよね。我らが岩井志麻子先生も書いてます)。

ジャン・ピエール・レオーは、登場シーンからハイテンションで恋人をヒロインにして自主映画を撮ろうとしてるという青年です。もう見ただけで「ああ、コイツ映画のことしか考えてないな」ってのがわかる重傷のオタクなんですね。「君はなんて美しいんだ!素晴らしい画が撮れたよ!」などといつもシャウトしているので、とにかく周りの人に見られて恥ずかしいからちょっと黙ってくれないかな、みたいな(笑)。この役はまるでトリュフォーのエピゴー ネンではないですか。「ドリーマーズ」でもレオーとトリュフォー(とアントワーヌ)の関係について書きましたが、この映画でも見事にレオーとトリュフォー、現実とフィクションが交差して思わず目をこすりそうになってしまいます。ベルトルッチ監督とトリュフォーは仲良しだったんですかね・・・?でも、なんとなく映画バカ一直線のトリュフォーのキャラクターをおちょくっている感じもします。

時にアブノーマルなプレイをし、時に父と娘のような関係性を漂わせたマリア・シュナイダーとマーロン・ブランドですが、あっけない結末で終わりを迎えます。タイトルの通りラストタンゴ・イン・パリになるんですよね(二人のタンゴは踊りの体をなしてなかったけど)。あんなに圧倒的な存在感でエロかった謎の中年男は、若い女を追いかけるただのオッサンになってしまったのです。ブランドは45歳という設定ですが、現在だったら45歳ってそこまで年じゃないと思うので今で言うと55歳くらいの感覚なのかな~と思ったりしました。皮肉な最期というわけなんですが、やっぱりピンと来ないんですね。

前に言っていたことに戻りますが、女は現役であることにしがみつかずにアッサリと次のステージに進むじゃないですか。そこではまた女学生みたいな乙女路線もオプションとして用意されてるんですよね。可愛いおばあちゃんっていう。そんで同年代の友達とキャッキャやるとか、女学生時代のリバイバルみたいで楽しい訳ですよ。ババアはコミュ力が高いからすぐに友達が出来るし。マルタの優しい刺繍」とか「人生いろどり」みたいに仲間とスモールビジネスまで立ち上げたりしてバイタリティーもある。

たぶん中年女が旦那に自殺された後だったら、悲しんだ後で「第二の人生始めよう」って現実的に考えて趣味とかに行くと思うんだけど、この映画の中年男は「女がわからない!名前も知らない行きずりの女と関係を持ったら、そこに愛が産まれるだろうか?」って考える。男の方が随分とロマンチストなのかもしれないという結論に至ったのでした。でも女だって現役にしがみついたり、年をとっても性愛をエンジョイしたいという人もいるわけで。逆にそういう映画が観たいですね。女性監督のクールな目線で、ビシッとくるのを一本作ってくれないかな~などと思ったりしたのでした。また、そういう映画をご存知の方は教えて頂けると嬉しいです。

ガトー・バルビエリの「ラストタンゴ・イン・パリ」テーマ曲(ライブバージョン)
ムーディーでエロかっこいいです・・・。

『ドリーマーズ』青春で、やがて切なきエロゲー・ヌーヴェルヴァーグ風味

       



昔観た、忘れてしまっている旧作を観てみようという気分になってDVD鑑賞。この映画は公開当時にも観ていたんですけど、かな~り記憶が薄れていました(エロシーン以外)。ちなみに当時書いた感想はこちらです。今と比べて随分とアッサリした感想文ではないですか。しかし、この頃からボカシ問題について多いに感心があったことが見てとれます。

ボカシはね~・・・芸術作品への冒涜ですよ!だって作品に加工をした時点でそれはオリジナルではなくなってしまうんですから。性愛という人類にとって永遠のテーマを扱った映画にボカシをかけられたら、作品の真意もボカされてしまうと思うんですが・・・。性器の結合部がボカシというのなら百歩譲ってまだわかります。倫理的にイカンってことで(でもそれをR-18でやるっていうのは到底理解できない)。でも性器そのものだけが普通に映っているシーンでボカシというのはこれいかに?だって毎日見てる体の一部分ではないですか。そこをワイセツだと思ってボカシてしまうしまう方が妙~にワイセツって気がするんですがね。ということで、ヨーロッパに住んでよかったことのランキング上位に「映画が無修正」というのが食い込んでいる訳です。でも「ニンフォマニアック vol.1 vol.2」を観た後だと、どの映画も「あ、こんなもん?」と思えてしまいます・・・(笑)。これを越える衝撃に出会える日は来るのでしょうか・・・?

舞台は68年のパリ。なんか文化人や学生が大勢集まってデモをしています。パリにはシネマテーク・フランセーズという世界の映画のアーカイブを保存した文化施設があるんですが、この施設はアンリ・ラングロワという映画おたくのコレクターが集めた古い映画のコレクションを基にした文化的に非常に重要なもの。トリュフォーやゴダールを始めとするヌーヴェル・ヴァーグの作家たちはシネマテークのコレクションをたくさん観てそこから映画のセンスを吸収したそうな。だからシネマテークが、彼らの作品作りにおいて多いなる影響を与えたとか。アンリ・ラングロワは当時シネマテークの代表でしたが、時の文化大臣アンドレ・マルローから財政支援を打ち切られてクビにされてしまいます(どうやらラングロワは政府とシネマテークの運営を巡ってモメてたらしい。ちなみに文化大臣のマルローはカンボジアで遺跡盗掘経験がある変わった人。カンボジアのバンテアンスレイ遺跡には彼が盗掘した後戻された女神像があり、「東洋のモナリザ」と呼ばれています。筆者も見物に行ったことがあります。)。文化大臣マルローによりラングロワがクビにされたのでシネマテークが閉鎖されてしまい、映画関係者や学生らが中心となって抵抗した運動がありました。このデモが反体制運動として有名な5月革命の一部であるそうです。

当時はDVDがなくて映画を劇場で鑑賞するしかなかっただろうから、映画それも古今東西の珠玉の名作を含んだアーカイブが見られないとなったら「ピュタン、ふざんけんな!」という感じでしょう。私が当時の現場にいた人間だったらきっとデモに参加すると思います。だって映画が観られないなんて、そんなの何を楽しみに生きて行けばいいんですか?本作の主人公マシュー(マイケル・ピット)とイザベル(エヴァ・グリーン)とテオ(ルイ・ガレル)もその中にいた若者たちだったのでした。

アメリカから交換留学でフランス語を学ぶ為にやってきたマシューは名画座的なところに通って映画を観る日々を送っていました。シネマテーク・フランセーズのデモでフランス人のイザベルとテオに出会うマシュー。同じ様な黒髪を持つミステリアスなイザベルとテオは双子の姉弟でした。このデモシーンは、ヌーヴェルヴァーグ好きなら思わず興奮してしまう場面です。68年当時のジャン・ピエール・レオーと現在のレオーがまったく同じテンションで熱弁を振るっていて胸熱に・・・。68年当時のレオーはトリュフォー監督の「夜霧の恋人たち」のアントワーヌとまったく同じなんですよ(当たり前なんだけど)!映画のためデモに立ち上がったレオーはトリュフォー監督の自伝的作品の主人公であるアントワーヌ・ドワネルを演じ続けた役者であって、アントワーヌというキャラクターはトリュフォーであって、トリュフォーもまたデモの中心的な人物で映画おたくが高じて作家になった人であって・・・。もうレオー=アントワーヌ=トリュフォー監督なんですよね。三者は互いに切り離して考えることが出来ないんですよ。それは映画の中の話だと思っていたんですが、カメラが回っていないところでもそんな感じが伝わって来て嬉しかったです。「夜霧の恋人たち」はアンリ・ラングロワに捧げられた作品で(たしか献辞されてたはず)、ファーストカットは閉鎖されたシネマテーク・フランセーズのドアの画から始まっていたと思います。でも映画自体はすごくベタな青春物語なんですよね。ドワネルもので、この映画が一番好きです。


「夜霧の恋人たち」予告編↓





しかし、つくづくレオーも不思議な俳優です。子役(アントワーヌ役)でデビューして以来、どの映画でもほぼ同じようなキャラクターを演じているのですから(おじいさんになっても)。どの役でも一貫して、情けなかったり、繊細だったり、ピュアだったり、ナイーブだったり、だらしなかったり、いい加減だったりで、まるでアントワーヌの変形バージョン。スクリーンの中のアントワーヌがじわじわと浸食していき、その後のレオーに影響を及ぼしているとしか考えられません。だから、アントワーヌなのかレオーなのかトリュフォーなのか、はたまた映画なのか現実なのか、という境がこの上なく曖昧。映画のままの人生をオフスクリーンでもそのまま歩んでいるとしか見えない不思議な人なんですよね。この映画のあとにベルトルッチ繋がりで「ラストタンゴ・イン・パリ」を観ましたが、そこでもレオーはまんまトリュフォーみたいな映画青年を演じていて「ブレないなあ・・・」と思うのでした。「ドリーマーズ」はヌーヴェル・ヴァーグをオマージュ&リスペクトしているため、シーン抜粋や同じ音楽を被せたりしている場面もあって、また胸熱なのでした。んだから、旧ブログにも書いた通り「ああヌーヴェル・ヴァーグの青春をドリカム編成でやっちゃうんだな」と思ったりするんですが、この映画はもうちょっとエロいし深い作品なんですね。


※以下、ネタバレします。


あっという間に親しくなったマシュー(マイケル・ピット)と双子のイザベル(エヴァ・グリーン)とテオ(ルイ・ガレル)。テオはマシューを家に招待します。双子の家はパリのシャンゼリゼ通りのあたりににある大きなアパルトマン。 シャンゼリゼ界隈で産まれたイザベルが初めて喋った言葉は「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン!」。そうすると「勝手にしやがれ」でジーン・セバーグがシャンゼリゼ通りで新聞を売るシーンになるんですよ。ク~ウ!やっぱ最高だな、ゴダールって!と思う訳です。私はもともと60年代のファッションが好きで当時のフランス映画を観るようになったんですが、そこからもうヨーロッパへの(正確にはフランスへの)憧憬をかきたてられまくったんですよ。特に「勝手にしやがれ」には影響を受けて、髪もベリーショートにしてしまったし(黒髪のモンチッチみたいになりました)、渋谷でニューヨーク・ヘラルド・トリビューンのロゴが入ったTシャツを一生懸命探したものです(結局見つからなかった。 ジーン・セバーグが着てたのと同じモデルを作れば絶対に売れると思うのだが・・・)。

双子のお父さん(ロバン・レヌッチ)は有名な詩人で、お母さん(アンナ・チャンセラー)はイギリス人(だから双子は英語が上手)。一緒にご飯を食べているときに、マシューはぼんやりとライターとテーブルクロスの模様が同じ長さになっていることに気が付くのでした。お父さんから「君、ぼんやりしているね。何を考えているんだい?」と言われて正直にライターと模様のことを話すマシュー。これが逆によかったみたいで双子家族に気に入られるのでした。この家族は一見リベラルな感じなんですが(双子は親の前で堂々とタバコ吸ってるし)、どうやらお父さんは「デモなんかやったってしょうがない」というスタンスのようです。テオとお父さんの意見が対立し気まずい雰囲気で夕食が終わるのでし た。マシューはそのまま双子の家に泊まることに。夜中にトイレに起きたマシューは、イザベルとテオが裸で一緒に寝ているのを目撃します。「なんかこの双子、変だぞ・・・?」って雰囲気なんですが、トイレを見つけることが出来なかったマシューは洗面台に放尿するのでした(テオの歯ブラシにおしっこがかかってしまうのだった)。

翌朝、マシューは双子から「ユー、もう下宿引き払ってこっち来ちゃいなよ!」と言われるのでした。憧れのパリ、魅力的な双子、そして双子の親は旅行中、これなんてエロゲー?状態です(笑)。前後するかもしれませんがマシューは郷里のお母さんに手紙を書きます。「やっとフランス人の友達が出来たんだ」と・・・。映画の知識があるマシューのことを気に入った双子は 、三人でルーブル美術館を駆け抜ける記録にチャレンジしようと持ちかけます。これがゴダールの映画「はなればなれに」の中でアンナ・カリーナと二人のメンズがやっていたシーンの再現なんですね。彼らのタイムを抜こうということなんですよ。現在の三人が走っている姿にオリジナルのシーンが重なります。これもフォーウ!とテンションが上がるってことなんですが・・・実は、私、「はなればなれに」未見なんですよね・・・。レンタルで探したりしたんですが、まだそのころはDVD出てなかったみたいで見逃し続けていたんですよ。今度帰ったら観たいと思います。

映画好きな双子(古典もよく観てる)の間で、映画のワンシーンを再現してタイトルを当てるという遊びが行われます。負けた方は勝っ た方の言うことを絶対に聞かなければいけないというもの。その絶対の度合いが半端ないんです。イザベルに負けたテオは、マレーネ・ディードリッヒのポスターを見ながら、二人が見ている前でマスターベーションをするという罰を受けるでした。本当に実行するテオ。マシューはドン引きです。やっぱりこの双子、どこかおかしい・・・ということなんですが。エヴァ・グリーンとルイ・ガレル、ミステリアスな黒髪と眼差しを持つフランスの若手(当時)が双子というキャスティングも最高なんですよね。二人とも退廃的なセクシーさがあって、実は近親相姦でしたって言われても全然不思議じゃない感じがします。約10年が経過した現在、より不埒な色気を纏って脂が乗ってますしね~。とにかくキャスティ ングがいいんです。そういえば、この映画のことを最初に知ったのはアルマーニの広告ででした。メインキャストの三人をイメージキャラクターにした広告で、モダンな感じなんですが映画のストーリーを引きずった雰囲気がありました。アルマーニの広告はこちらから見ることが出来ます。

ある夜、テオがマシューに映画クイズを出しますが、マシューは負けてしまいます。テオが出した罰は目の前でイザベルとセックスしろというものでした(罰ゲームがいちいちエロいが、確かにそうしないと楽しくないのかもね)。マジで・・・?とまたドン引きするマシュー。しかしイザベルはやる気満々です。双子によって服を脱がされたマシューは、パンツの中にひっそりと隠してあった水着姿のイザベルの写真まで見つけられてしまうのでした(テオに服を借りた時に写真をくすねていたのだ)。これは恥ずかしいですね~!裸にされて何もかもバレてしまったマシューはやけくそになってイザベルとセックスをします(その間、テオはなぜか目玉焼きを焼いているのであった)。しかし・・・奔放に見えたイザベル、実はこれが初めてだったのでした!それに気が付いたマシューは更にイザベルに夢中になってしまうのでした。しかしエヴァ・グリーンの乳首の直径は何センチあるんでしょうか・・・。色は綺麗なピンク色だけど何度見てもちょっと驚いてしまうところです。

はい、とうとうやってしまいましたね。ここから三人でいるときはほぼ裸というシーンばかりになります。親がいないのをいいことに、勝手に高いワインを空けたりして酒池肉林のゼブラタイムに突入するのでした。しかしゼブラながら、だんだんとダメダメな生活に転落していきます。イザベルはまともな料理をつくれないし、家にある食材を使い切ってしまい、食料品を買うお金もないのでテオが裸にジャケットをひっかけてアパルトマンのゴミ箱をあさり、食べられそうなものを取って来る始末・・・。結局1本のバナナを三人で分け合うのでした。それでもまだ楽しそうです。働かない、勉強もしない、ちらかった家に半裸でグダグダしながら、ゴミ箱からあさってきた果物を食べる・・・う~ん、デカダンス!沢木耕太郎先生が「深夜特急」の中でフランス人バックパッカーの僻地での沈みっぷりが半端ない、と書いていたのを思い出しましたよ。旅先で底辺まで落ちて、じっと退廃の中に停滞するパッカーは多いけど、特にフランス人は落ちる所まで落ちて、その沈みっぷりがかなりディープなんだそうです。今風ポップに言うと「外こもり」ってやつなんでしょうか。しかしあれだね、フランス人がやってると、何か放浪して客死したランボー(Notスタローン)みたいに文学の香りがしますね(笑)。私がフランス信者だからそのように変換されてしまうのでしょうか・・・。

半裸グダグダ生活を送りながらも、戦争や社会のことについて激しく議論したりしているんですが、もう本当にお笑いなんですよ。自分らは社会的役割を全く果たしてない子供で、でも身体的には子供じゃないから性欲もあって閉じこもって色々とエロ行為にふけっている。ベトナム戦争に従軍しているマシューの友達が見たら「一体コイツらは何をやってるんだ?」と思うのではないでしょうか。社会についてどんなに激論を戦わせても、大人をねじ伏せる様な正論を言うことが出来ても、論破することが出来ても、結局「で、おまえ働いてんの?自分で家賃払ってんの?税金は?」って言われたらグウの音も出ないお尻の青い子供たちでしかない。掲げる理想は高くてご立派だけれども、家の中で机上の空論を夢見ているドリーマーズたち・・・。まあ、それはそれでお笑いなんですが、どこでも若者っていうのはこんな感じで似たり寄ったりじゃないですかね。親がいない家で好き放題、堕落してエロいことして本などのリアル体験じゃないことに基づいて知った口をたたいて。若者ではなくなった今、若い人達が青い理想論をカマしてたりする方が健全なように感じます。

双子はマシューの下の毛を「愛の証明のため」に剃ろうとしますが、マシューは拒否して「君たち、どこかおかしいよ!双子だからって一緒に裸で寝たり、風呂に入ったり」と、とうとう思っていたことをぶちまけます。それがごく普通だったイザベルには逆にマシューのことが理解できません。マシューは「もっと普通のカップルみたいなことがしたいよ」と言ってイザベルをデートに誘います。あんなに奔放でセクシーに見えたイザベルは、なんと普通のデートも経験がないのでした。久々に街に出たマシューはパリの街の変化に驚きます。至る所にガレキでバリケードが作られ、電気店のテレビではデモが国中に広がっていることを伝えていました。ドリーマーズが家で半裸退廃生活を送っている間、世間は動いていたのです。二人がデートから帰宅すると、テオが部屋に女の子を連れ込んでいました。彼の部屋のドアを狂ったように叩き、叫ぶイザベル。楽しいデートをしたものの、やっぱりイザベルとテオの間には自分が入り込めない何かがあるのだ・・・とマシューは悟るのでした。

マシューは親秘蔵の高いワインを飲みながら理想論を振りかざすテオに、ストリートで起きていることを直視するべきだと告げます。ここでマシューとテオがちょっと危ないムードになるんですが、原作小説では二人が男色をするシーンがあるそうです。原作だとマシューは双子のどっちともと肉体関係を持つんですね。こう書くと最初は色々とドン引きしていたマシューが一番変態じゃないか!という感じなんですが。その後、居間に作ったテントの中で三人はワインを飲み眠りにつくのでした。翌朝、双子の両親が家に帰って来ます。両親が見たものは、荒れ果てた家とテントの中で眠る裸の三人の姿でした。驚いた両親はそのまま三人を起こさず、小切手を置いてまた出て行くのでした・・・。

先に目を覚ましたイザベルは置かれた小切手に気付き、両親に見られたことを知ります。絶望した彼女は台所からガスチューブを引いてテントの中に入れ、眠ったままの二人と自殺しようとします。しかし窓から石が投げ入れられてマシューとテオが目を覚まします。ストリートで何かが起きている!と外を見ると大勢の群衆が「表へ!表へ!」とシュプレヒコールをあげながらデモ行進をしているのでした。それを見て、外に飛び出した三人。何かに目覚めた様子のテオが群衆の中に入ります。群衆の目指す先にあるのは機動隊でした。燃える車、手製の火炎瓶を投げる活動家たち・・・。テオも火炎瓶を持ち、戦おうとします。暴力に対抗するには文化を、銃より本を持つべき、戦争に行くぐらいなら投獄された方がマシ・・・と言っていたテオが。マシューは「今君がやろうとしていることこそが暴力じゃないか!」と必死でテオを止めようとしますが、テオはマシューを振り切ります。テオはイザベルの手を取り、燃え盛る衝突の中に突進して行くのでした。マシューは彼らとの決定的な違いを悟り、ひとり群衆をかきわけて去って行くのでした。エディット・ピアフの「Non, je ne regrette rien(「なにも後悔しない」という意味。邦題は「水に流して」)」がかかり、END・・・。






両親にすべてを知られて自殺しようとするイザベルでしたが、何が彼女をそこまで駆り立てたのでしょうか。テオとも関係があったことを親に知られるのがショックだったとか?(しかし描写的に三人が裸でいたというだけで、プレイの証拠を示すものは何もないのですが)泊まりに来たマシューが裸で寝ている双子の姿を見るくらいなので、恐らく親は知っていたんじゃないかと思うんですけどねえ。ちなみに双子の腕にはお揃いのアザがあるんですが、これが何かを意味していたんでしょうか。しかし、小切手を置いて親にそっと立ち去られるというのも恥ずかしいっちゃ恥ずかしいですね。映画好きで教養もあって、言うことだけはご立派、しかし親にお金をもらわないと生命を維持していけないというのが、あー恥ずかしい。筆者も学生時代はそんな感じでした。当時の自分を思い出して、こっ恥ずかしくなっちゃいましたね。まあ、それがいわゆる学生ってものかもしれませんが・・・。本当に今振り返って思うと、生意気な口は自分で家賃払ってから言えって感じです。

ドリーマーズたちの蜜月は短くも燃え上がりましたが、最後は決別で終わるのでした。結局マシューと寝てもイザベルはテオの言いなりだったし、マシューは双子の間には入ることが出来なかったのです。最後にマシューは「ダメだ、こりゃ・・・」とデモ現場から立ち去りましたが、双子たちは戦おうとします。外に出たら、家で言っていた意見とは反対になってしまったんですね。「今、社会は動いている。暴力には反対だけど自分には一体何が出来るのか・・・」と考えて大人になったマシュー。一方「暴力反対。でもこのデモ見たらやべえ、参加してえ!」と目を輝かせて群衆に飛び込む青臭いテオの対比が印象的です。マシューはパリに来て成長しましたが、双子は若者のままのように描かれていました(イザベルに至っては自分の意見を述べているシーンもない)。マシューにとって双子はドリーマーから「大人」(諦めることを覚えた人という意味込みで)になる通過儀礼装置のような役割を果たしていたんだと思います。あんなに淫らで楽しい時を過ごしたのに、なんだか切ないですね。きっとマシューの胸には68年のパリと双子のことが、いつまでの青春の一ページとして残るのでしょう。しかし三人の役者が本当に素晴らしくて、見直してみてよかったと思いました。

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